オイリュトミー公演「ロザリオ」に寄せて
「ゴルゴダの秘蹟」に思いを馳せる時、いつも身体の底から込み上げてくるものが私を覆う。その曲はそれと同じ「衝動」で私をうつ。
今年、没後300年 を迎える作曲家H・I・Fビーバーは、キリストの全生涯を音楽に込めて表現した。それが、15のソナタとパッサカリアからなる超大作「ロザリオ・ソナ タ」である。
現在のヴァイオリンでは奏でることのできない「ロザリオ・ソナタ」の美しくも苦渋に満ちた音色は、ビーバーがキリストの秘蹟を音楽であらわ すために苦心して創りあげたものである。ロザリオのソナタは、一つ一つの曲によって調弦がまったく異なっていたり、現代の作曲家からみると信じられないような調弦法が採られたりしている。それゆえと言おうか、たとえば<ゲッセマネの苦しみ>というタイトルがついたソナタ6番を奏でる時には、音楽が苦悩に満ちたものであるだけでなく、ヴァイオリンそのものが悲鳴をあげる。狭い部屋でCDを聴きながら、キリストの生涯を音楽にするとはこういうことなのかと、私はひとり得心した。
「ロザリオ・ソナタ」の何が私を惹きつけるのか。それは、やはり「救済」という言葉でしか言い表すことができないものだと思う。日常にまで浸透した繰り返される暴力。蛮行をふるうことが善であるようになった今という時代。その暴力がまさに私たちの内にも猖獗しているのをひしひしと感じざるを得ない日々・・・。この曲を聴くと、私のうちに存在する「悪」に対峙する力、勇気、そして稀な望みを、「救済」という言葉とともに与えられるように思われる。
この「ロザリオ・ソナタ」を、いま、オイリュトミー公演として舞台で上演しようとしている。その機会を与えてくれた見えない存在に感謝したい。そして、公演「ロザリオ」そのものが全くささやかなものではあるが、一つの祈りとして捧げられることを望む。
その「場」に、これを読んで下さった皆様に立ち会って頂けたら幸甚です。
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